父と母の言葉

「あなたは大丈夫!」

あなたは大丈夫!
といってあげることが、その人の自信となる。

「○○(わたしの名前)は、大丈夫や!」

よく父と母が言ってくれていた気がする。

元気がないとき、失敗したとき、いろんなときに

 

ふとそのことを思い出した。

今私がまぁまぁ会社でめげずにやっていけるのは、自分への自信があるからかもしれない。

別に大それたことができるわけではない。ただ、「間違ったことはしていない。言っていない。」という自信。

なので、褒められようが褒められまいがマイペースでやっていけている気がする。

わが子にも、できるだけこの言葉を贈ろうと、思う。

 

さて、自分で自分に自信をつけるには、「大丈夫!」ではない。

それではときに、カラ元気になってしまう。

自分で自分に自信をつけるには、

ただひたすらがんばるしかない。

当然と言えば当然なのだが・・・・。

これも、そこそこ会社でやってきて、思う。

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ただほど高いものはない

- タダホドタカイモノハナイ -

携帯ゲームGREEで高額請求!?の記事で、この言葉を思い出しました。

ただ(無料)だと思って、手を出すと、あとあと出費が必要になった。とか、もともと出費してもいいと思っていて、とりあえず無料のをやってみたら、結局(ただの部分を)やりなおすのに費用がかかって最初の想定金額より、高くついた。

みたいな感じ。

 

携帯、ネットは、通信費もあるし、コンピューター・ネットワークの原理や設備の大変さを知っている身からすると、絶対タダはあり得ない。

と思うので、わたしは、明朗な有料サイトには手を出しても、無料サイトには手を出さない。

 

提供側はプロ。

コンピューター・システムのプロであり、

タダですまないように誘惑するプロであり、

お金を稼ぐのが目的なのだから。

そこを忘れてはいけないし、子供には教えよう。

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継続は力なり

- ケイゾクハチカラナリ -

いつも、めいいっぱい、働いている父と母でした。

農業でしたので、夜は文字通りへとへと、という感じでした。

 

普段は、仕事にやりがいを感じつつやっているようでしたが、

たまに、「しんどいなぁ~」と心底口から出てしまう、ようなときもあったように、

子供だった私の記憶に残っています。

 

台風が来て、育ててしまったものが惨憺たる状況になっても、

「継続は力なりや」、と倒れた野菜を立て直し、片付け、世話をし、次の種をまく。

延々と毎日繰り返していたように思います。(それが農業ではありますが。)

 

今ほどおもちゃ・ゲームもなかった時代で、宿題くらいは普通にやってもいたし、親から日常はあまり「勉強しー」とは言われなかったけれど、

食卓で、世間の厳しさに触れる話題のとき、「継続は力なりやー、しっかり勉強しときやー。きっと間違いなくそれが自分を助けてくれる。」とよく言われました。

今思えば、それより何より、両親の働く姿が”継続は力なり”を見せてくれていたと思います。

 

振り返ってわが子をみると、

何も継続させていないことに、気がつきました。

大人になったとき、毎日毎日毎日毎日、食事・仕事などなどの”日常”を延々と続けられるのか?飽きまいと飽きようと延々と、、、。

侍の時代、男の子は三歳くらいから竹刀をふる剣術を毎日やらされ、10代のうちに戦いに出た。

そんなことを思うと、今の時代、子供が成人しても大人になりきれていないのは

継続することの大変さと大事さをその身に教えてこなかった、大人のせいではないかと、

考えます。

  

子供たちにこの思いを話し、

とりあえず、長男に「お弁当箱は毎日自分で洗うこと。」を課しました。

さて、継続させるのはこちらにも覚悟がいります。がんばりますpunch

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朱に交わればあかくなる

- しゅにまじわればあかくなる -

どんな高貴な人も、

環境が変わって、たとえば不良と言われるような集団にどっぷりつかると、やがては染まってしまって悪人になってしまう、

というような感じ。

 

あまり例えとしてはよくなかったけれど・・・

環境、というのは確かにそうだな、と思う。

たったひとり、場違い、と思うようなところに放り込まれると、

最初は、心で抵抗を試みるが、相談する相手もいなくて、愚痴をいう相手もいなくて、、、

結局、その場に染まっていく。

じわりじわり、年月を重ねて、染まっていく。

 

それが、心の安定を保つ本能なのかもしれない。

ひとり、抗うというのは、難しい。

 

そんな場合は、

そこに染まりたくないなら、

その環境から逃げ出そう

 

たぶんそれしか染まらない方法は、ない。  と、思う。

 

追伸:

まぁ、最近よく感じるのは、業務上横領、みたいなこと。

大金が自由に操れる立場にいて咎める人もいないと、ついやっちゃう、みたいな。

もともとは、「いけないこと」とわかってたはずだろうに・・・

そーいえば、父はそういう立場(役職)に長くいないように心がけている節があったなぁ。

人は誰しもたやすいほうに流れていく、そんなことも言っていたなぁ。

自分で自分に厳しく、自分を上手に戒め、客観的に見ようとする父と母だった。

とても立派な生き方だと、思う。

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~ 2009 夏の終わりに ~

洗濯機の横で、ときどき盥(タライ)に水を張って手洗いをしていた母。

ひどい汚れものがある時ではあるけれど、、、、

 

「おかあさんって、たいへんやね~」と声をかけていた小学生の私

でもなぜか、畑仕事もあり忙しいはずなのに、そういうときの母はやさしい表情だった

 

「水遊びみたいなもんや~」とニッコリ

 

いま食洗機を使うようになって台所の水仕事もかなり減った私

それでも今年の夏、「あー冷たい水が気持ちいい」と思いながら、何度かコップなどを磨き上げるように洗った。

そう、丁寧に、ヒンヤリを楽しむように少し時間をかけて。

 

母も、きっとこんな感じで、

ほかにもしなきゃならない主婦としての仕事があるけれど、

誰にも文句を言われず、自分だけサボっているような小ずるい思いもせず、つかのまの休憩、「みずあそび」を楽しんでいたのかな、と思う

 

              ~ 2009 夏の終わりに ~

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ほったらかす

子育てで大事なことは、やはり、”ほったらかす”ことかな、と最近思う。

 

日々の暮らしの中で、子供をほったらかし、自分で考えさせ、やらせる。

しかし、大事なことがある。

子供自身に『ほったらかされてる』と思わせないこと、が大事。

 

小食で、しかも食べる間に何度も箸を置き、休憩してしまう三男。

しかし、「お母さん、庭の水置きしてくるからね、(学校に)遅れないように食べてね。」

と言ってほっておくと、割合彼は早く食べる。

そして、「お母さん、食べたよ~!」と彼は元気に報告に来る。

 

そばにいると私に話しかけ、かまってほしくなる彼。

でも、「お母さんは忙しいし、いつまでも一人で食べててもしょうがない」と気が付くようである。

 

「子育ては、時間の長短ではなく、時間の濃度だ」と、よく父・母に言われた。

どんなに忙しくても、少ししかそばにいられなくても、

その少しの時間の中で、子供に、心を十分にかけてあげなさい。そうすれば手はかけられなくても子供はちゃんと育つ。心が満足すれば、子供自身、がんばれるものだと。

 

満足には、納得や安心が入る。

納得:「○○をしてるから、ちゃんと食べておいてね。」のように、なぜいっしょにいられないか、理由を添えて、ほったらかす。

安心:「○時までには帰るよ」、と必ず知らせておき、そして守る。

 

そんなふうに育ててもらったなぁ、と今思い出す。

そして、そんなふうに育てていこう、と今思う。

 

追伸:

きのう書いた、親は無くても子は育つ

世の中(他人)はあてにならないと、きっと、身をもって感じ、強くなり、

そんな中にも、自分のことを気にかけてくれる人がいる、”一人ではない”と感じて希望を失わず生きていける、

そんな意味なんだろうと思う。

君のことを案じているよ、そう伝えることが、子供にとって大事なんだと思う。

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親は無くても子は育つ

- オヤハナクテモコハソダツ -

ご近所さんの、しっかりした青年とかの話で、親ごさんがいない方のときに、こう言っていた。

この言葉は、

(親がいなくても)御飯が食べられて生きていける、というより、

(親がいなくても)しっかりした人間に成長できる、という意味合いが強い。

 

確かに父母の時代は、そうだったかもしれない。

しかし、今はどうだろうか。

”親はあっても子は育たぬ。”

社会でおきる様々な事件を見ていて、そう思う。

 

子供のころ、「人さらいがいるから、暗くなる前に帰っておいで、」、「悪いことしたら、ここにすめなくなるよ」、「刑務所って、何年も自由がなく、出られないよ」と、具体的に悪いことをするとどうなるかを、教えられた。

今は、実は親もそういったことを教えていないのではないか、と思う。

「言わなくても、わかる」

そんなことはない。

赤ん坊は教えられなければ、おそらくずっと手づかみで物を食べるだろう。

そして年頃になれば、動物的に発情期を迎えるだろう。

しかし、動物として生れもったその2大欲以外は、なんでも言葉と態度で、明確に、教えなければわからない。 

昔は、親はいなくても、

親切なご近所さん、親身になってくれるご近所さん、時には怖いご隠居さん、みたいな地域社会があり、親代わりになって教えてくれる人がいたから、”人間が育った”のだと思う。

 

この言葉を教えてくれた親にはすごく感謝しているが、今の時代には死語といえる言葉、だと思う。

そして、せめて、自分の子供だけは、しっかり育てよう、と思う。

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「ああ~、ええ雨や~~」

これは、実感のこもった父の言葉

 

農業で、冬はほうれん草、夏はトマトを中心に青果を出荷していた。

大阪の近郊農業だったので、水は水道水しかなく、雨のない日は2~3時間ホースでの水やりが必須だった。

わたしも小学校高学年から、何本かの畝をまたぐ形でのホースもちを毎夕、手伝った。

朝暗い2時、3時からの収穫、出荷の作業。

昼は、空いた畝への種まきや肥料やり、それにたんぼの手入れ

そして夕方は、再び畑の水やり

食事と、夏は1時間ほどの昼寝をはさんでいたが、それでも連日休みなしの繰り返し。

今から思っても、父と母は、すごいと思う。

 

その父が、日照りが続いた後、まとまった雨が降る午後、

「ああ~、ええ雨や~~。○○、今日はゆっくりしょ~~」と、

ホッしたやさしい顔つきで、母に声をかけていた。

 

雨が降ると、わたしはこの光景を思い出す。

風がなく、サーーーと降る音を聞いていると、心やさしくなれる。

植物が喜んでるなぁ、などと思い、いきいきと輝く緑を眺めたりする。

(植物も日照り続きだと、きっと、パサパサだぁと苦しんでると思うのだ。)

みなさんも、

日曜(Off)の午後、雨が降ったら、

ゆったりした気分で緑を眺め、雨音を楽しんでみてください。

 

傘も、お気に入りの柄のものを一本もっておくのがお勧め。

出かける時も、雨を楽しむ気分で。

『雨はステキなもの』、そう思ってみるといつもと違う気分になれますよrain

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門前の小僧

のようにはいかぬgawk

モンゼンノコゾウ、キョウヲオボエル、だったかな。

お寺の修業中の小僧さんは、門前の落ち葉を毎日掃いているうちに、耳からお経を覚えてしまう。という話。

理屈ではなく体で覚える、ということのたとえ話、たぶん。

 

庭のやまももの木、新芽が大きくなるにつれて、旧葉が落ちる、落ちる、落ちる。。。。落ちる

見て見ぬふりをしていたが、天気cloudは下り坂、風も出はじめてて、ご近所に散ってもご迷惑だし、、、、

ざっと掃いただけで、ゴミ袋一杯強sign01

収集車に間に合いギリギリ持ってってもらえたのが、せめてもの救いdash

 

ひぇ~、仕事時間だぁsweat01sweat01

いいかげんup じゃなくて、いいかげんdown に切り上げて、終了。

まだ、あちこちのすみっこに残ってるかけど、かんべんしてぇ~

 

という今朝のはじまり

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(番外編)風に舞いあがるビニールシート

本 らしい

旅行の最中、話しに話し、接点を見出そうとし、そして最終日に離婚を決めたという物語。

離婚届の理由欄に「価値観の相違」と書いたという。

「引き分け」。・・・そして互いに相手を認め合って、シャンパンで心地よく乾杯して空港で別れる。

 

「価値観が違う」。昔、使ったことがある。

その一瞬、相手がだまり、しばらくのち、「そうか」とうなずいてくれた。

 

私が、父と”対等になった”と思った瞬間だ。

父が私を、大人として認めてくれたと感じた。

実際、それ以降、あまり私にとやかく言わなくなった。

 

時代の流れには逆らえない。

そして時代は常に新しいものを生み出す。

育った環境(時代)が違うと、考え方(価値観)が異なるということにつながっていく。

歳を重ねた者は、古くなり、”今”に合わなくなってくる。

 

8人兄弟の末っ子だった父が、私によく言ったことがある。

「大人になって、歳をとると、やがてお姉ちゃんやお兄ちゃんはおまえを頼るようになってくる。今と逆転するんや。」

今、そのとおりになってきた。姉の悩みを聞き、母を諭すようになってきた。

今の時代に、母や姉の考えが追い付かなくなったきて、まだ若いわたしが中継なのだ。

 

スピードの早いこの時代、確実に、私も子どもと価値観があわなくなっていくだろう。

彼とはずっとやっていけるだろうか。少なくとも、いっしょにいる時間を多く持つ努力は、これからも必要だろう。

  

そんなことを思った、FM放送からの声だった。

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金は天下の回りもの

- カネハテンカノマワリモノ -

みなさん、お金使ってますか?

この不況から脱出するには、まず自分も使いましょうね。

お金は社会をまわっているものです、実体経済では。

一定のお金持ちやメガバンクなどが現金を集め、しかし集めたのと同等に放出せず、貯蓄額の書いた書類を金融経済間での電子証明書がわりにしてしまったのはNGですね。

お金が社会を回らなくなってしまいました。それが今の世界金融恐慌ですね。

がんばって、放出してもらいましょうね。実体経済へ返してもらいましょう。

国にもその点、よく考えて政策を実施してもらいたいもんです。

で、そのうえで自分の手元にまわってきた現金は、身の丈にあった分だけでいいので、使いましょうね。それがお互い生きていく方法です。

 

父と母は、実に「生きた金」の使い方をする人でした。

ふだんは、電気とか水とか無駄な使い方をすると厳しいわれましたが、旅行などは「このために働いてるんや。かめへんかめへん」と買いたいものを買い、食べたい物を食べ、させてくれる人でした。

そして、うわぁ高いなあ、と思うときでも、いいこといいものに使うなら、「金は天下の回りもんや、また働いたらええねん」と、すっぱり使っていました。

これが正しいお金の使い方だと、ほんと、思います。

 

ローンはだめですよー。あれは自分のお金じゃないからねぇ。

「返せる思うんやったら、貯めてから買うたらええねん。」も言ってました。

まったくそのとおり。家とかは(貯めてる間に人生の半分以上過ぎてしまうので)別にして、日常は貯めてから買うのがあたり前ってもんです。

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無くて七癖

-  ナクテナナクセ -

平たく言うと、「誰でも欠点はある」、という感じ。

誰からも好かれる人、聡明な人、かしこい人、であっても、七つくらいのあまり良くない癖はあるもんだ。という意味。

私の兄弟、その伴侶、親、そのほか親戚が集まった父の七回忌でいろいろ話しに花がさき・・・

なるほどねぇ。あんなに立派な人でも、そんな面があるのねぇ、と実感し、父が時々口に出していたこの言葉を思いだしました。

わたしの七癖はなんだろう?(いや、七つで収まるとは思ってませんが・・・)

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二兎を追うものは一兎をも得ず

- ニトヲオウモノハイットヲモエズ -

これはご存じの人が多いでしょうね。

二匹のうさぎを同時に追いかけて、結局両方とも取り逃がすという故事にまつわる言葉。虎だったかな?

 

通常は、目的を絞り込まないとどっちも失敗するよ、みたいな感じにつかうことが多いですね。

私はジュモンのように日常的に心の中でつぶやきます。

あー、あれもしなくちゃいけないんだった。そういえば、あれもまだできてないな。

ちょっとした繕いものや、子どもの学校の準備。

日々、次から次へと主婦(家事、育児、妻、、、)の仕事はわき出す。

そんなとき、あれもできてない、これもできてない、と以前の私は勝手に落ち込んだりもしたけれど、『二兎を追うものは一兎をも得ずだわ。(今やっている)これをまず片づけちゃお!』と思うと、ひとつは間違いなく片づけた。と思うことができる。

忙しく、自分を追いつめちゃう人に、オススメです。

 

さて、掃除は終わった。お昼ごはん決まってないなぁ。冷蔵庫にいろいろあるのを”今週のお献立”で整理したいんだった。なんとか今日中にカード請求書の整理もしたいし、ダーリンとWALKINGの約束もあるぞ。ぎりぎりだぁ。

どれからやるかな?

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雨降って、地固まる

- あめふって、ぢかたまる-
両親は、よくご近所のもめごとの話の最後によく使ってました。
まぁうわさばなしもこれで終われるなら「最後は丸く収まった」ということでいいんですけどね。
 
なんでこの言葉を思い出したか、そりゃまぁ・・・
だいぶ前から書きかけでおいてあったんですが・・・
どうにか本文を全面書き換えしてでも表に出せる心境になってきた、ということですねrainthunderraincloudsun

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鉄は熱いうちに打て

若いうちに仕込め、という感じですね。

(仕事について)「いろいろ頭で考え出すよりさきに仕込め」、そんな感じでしょうか。

 

なんでこの言葉を思い出したんだろう。

自分が中・高のうちによく言われたが、大学・社会人になってからはあまり言われた記憶がありません。もうその時期は過ぎた、という感じだったのかもしれません。まあ、いずれにせよ本来は、仕込んでる相手本人にいう言葉ではないですけどね。

最近、三者三様にいろいろ質問を投げてきます。長男は「サブプライムローン」だったり、次男は「霞ヶ浦」だったり、三男は「なんで9月30日の次は10月1日なの」だったり、と。

ついまじめに応えようとしてしまうので、このごろの質問時間=夕飯時間は結構疲れます。で、「自分で調べるようにし向けよう」と思うのですが、なかなかうまくいきません(^^;)

 

そう、いろんなことに興味を持っている今、彼らが若いうちに、(学校の、だけでなくいろんな意味での)勉強の仕方、生きる力、そんなことを教え込まないと、と思ってます。それでこの言葉を思い出したのかもしれません。

 

しかし実は、「幼いうちにしっかりしつけよ」、というふうに強く感じている気もします。私自身が。

上二人は、「時すでに遅し」的なことを感じることが、ときどきあります。あまりに片づけしないので・・・

あーあ、いつのまにかグチになっちゃった。 

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人の振り見て我が振り直せ

-ヒトノフリミテワガフリナオセ-

よく言われたなぁ、これ。

 

自分が言われていたころは、人のいいところを見て、まねをしなさい、という感じにとらえていた。

自分が子どもに言うようになって、思うことは。。。。

人の悪いところを見たら、(口に出して注意する前に、まず)自分を振り返ってみなさい。

自分も案外同じことをしているでしょう?

もしくは自分のほうがもっと悪かったりするでしょう?

と思うようになった。

 

子どもを見てると、つくづく、自分の欠点を感じる、今日このごろ。。。。sweat01

 

追伸:

よくよく思い出すと、父も村人の話をしながら後者の意味でよくつかっていたような気がする。物事を深くいろいろ考える人だったなぁmoon3

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形ある物はいつか壊れる

-かたちあるものはいつかこわれる-

食器をおとしてしまったとき、どこかの旅行先で買ってきた調度品を倒して壊してしまったとき、おもちゃを自分で踏んで壊してしまったとき、

いつも父は「大丈夫か?怪我せぇへんかったか?」とまず聞いてくれた。

そして「かめへん、かめへん。形ある物はいつかこわれんねん。それより○○の体のほうがずっと大事や。怪我したらつまらんつまらん」と言ってくれた。

最近、気が焦って、ちょっと物をおとしたりすることが、以前より増えた感じ。

お皿も、一年に一度もないほどだったのに、このところ三度も続けて欠けさせてしまった。

でも心の中で、「まあええやん。形ある物はいつか壊れるや」とつぶやくと、少し気が楽になる。切り替えて前向きになれる。

ほんとにこの言葉はその通りだと思う。

 

時に、こんなことも言っていた。「それより、友達とか信用とか、そういうものは、大事にすんねんで。壊すと修復すんのは大変や。二度と手に入らんこともある。」と言っていた。

それに!

大事にしないで、物をわざとこわしたようなときは、(めったにそんなことしなかったけど)めっちゃめっちゃ怒られた!!あたりまえだぁ。

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時は金なり

トキハカネナリ

多分、もともとの意味は、遊んでないで仕事しなさい、という意味。

働けば働くだけちゃんとお金になる、ということ。

父はそういえば、この意味でよく語ってたかな。

 

母は、「時間がなければ、お金でこうたら(=買えば)ええねん」と使う。

とても忙しく、まさしく「目が回る」ときなど、母に電話をして愚痴を聞いてもらうと、「頼み、頼みぃ、そんなん家事ヘルパーさんとかにたのんでしまいぃ」と今でも、よく言ってくれる。

わたしはたとえプロでも他人に家の中に入られるのはいやなので、(ましてや自分がいないときにお願いするなど、信じられない・・・)、実際、家事ヘルパーさんを頼んだことはないけれど、母に、これを言われるだけも、ホッとする。

『そうだ、忙しすぎるんだから専門さんに頼んでしまえばいいんだ』→『頼まないんだったら、できなくてもいいじゃん』と思えるのだ。(そして、たぶんだんなも『他人に入られるのはイヤ』、は同じな人だと思うので、「だって、そこまで手が回らない、そこまでいうならあなたやってよ!」と言える勇気もわくのだ。)

 

あ、そうか、専門さんからすると、まさしく時間代行してお金を稼いでるのね。なので父と母の使い方は表裏一体同じことだ。

とにかく、精一杯やっても時間が足りないときは、『専門さんの時間を買えばいい』

最近のよく思うこと、なのだ。

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チャンスをください⑤

今日12月15日(土)の朝日新聞「患者を生きる」531回『がん』の副題が、このタイトル。

 

11歳の晃太くんが臍帯血移植をうける様子が掲載されている。

骨髄バンクへの登録は、検査とか適合した場合の対応とか少し大変そうで、あまり考えたことはなかった。

が、子どもが成人し、それぞれに歩んでいけるようになったら、登録しようと思う。

 

私が結婚したころ、母から聞かされたことがある。

「お父さんとお母さんは、二人だけでは今まで旅行をしなかったし、用があっても極力飛行機には乗らなかった。万一の事故があると、あなた達子どもがいきなり両親とも失うことになるから。」と。

とても深い親の愛を感じ、わたしも同様にしようと思っている。

 

それとは別に、「体には、できることならなるべくメスを入れるな」とも言われた。「内科的治療で、まったく健常に戻ったという話は案外聞かない。病気は治ったが腰痛になったとか、いろいろある。ほかに選択肢があるならそちらにしなさいと。そしておだやかに、寿命を受け入れるべきときが誰にでもいずれくるのよ。」と

骨髄バンクは、注射針を使用するのだったと思うが、いろんな感染症もあるこの時代。またお医者さんも人、失敗が100%ないとは言い切れない。万が一を考えると、骨髄をさわられるのは不安がある。

 

今の世の中、幸せで長生きできる人はどのくらいいるのだろうか?私が60を越える頃を考えると恐ろしい気さえしている。

介護保険に入っていても財政難で利用制限を設ける市町村が出ていると、同じ今日の新聞にも出ている。早くもそうなのか・・・・・

年金、介護保険、医療体制、、、、、超高齢化社会まっただなかに自分が身をおくことを考えると本当におそろしい。

それを考えれば、人のために役立って、幸せな気分になれるならすばらしいと思う。

 

子どもを育て終えたと感じたその日、骨髄バンクに登録しようと、、、、、、大切な決意。

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日薬

- ひぐすり -

 

どんなにつらいことがあっても、

どんなにつらいことがあっても、・・・・

死にたいほど、つらいことがあっても、・・・・・・・・・・・・・

 

死んではいけない。

無論、どんなに憎くても理不尽でも殺すようなこともいけない。

 

兎に角、時間が解決してくれる。

時が、癒してくれる。

忘れることはたとえできなくても、、、、、日が心を和らげてくれる、

                           ということ

 

そして、よくこう言われた。

「決して、親より先に死んではいけない」と・・・・・

「人生一度や二度、死んでしまいたいほど悔しいこと。情けないこと。苦しいこと。

誰だってあるもんだ。だけど死んではいけない。

なんのために生まれたのか、親がどれほど苦しい思いで育ててくれたのか、それがわかれば、、、、、わかるまで、死んではいけない。

わかれば決して死ねないはずだ」 と。

「つらいときは、耐えなさい。日薬つければ、やがて楽になるから」と。

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安かろう悪かろう

言葉の通り、安い物は品質が悪くて当たり前、という意味。

比内地鶏の例のニュースは、「こんなに安いけど本当に比内地鶏なの?」と消費者から問い合わせもあったという。その時点で買う側も気づくべきである。

そして100円ショップをはじめとする中国製品。

鉛が基準以上に使われている製品がゴロゴロ。

玩具にいたってはSJマークまで勝手についていたとか。

確かに人件費が安いのだろうが、貧富の激しい中国での大量製造。

そういう現場で「いいものを作ろう」という気がおきるとは思えない。

「とにかく作れば売れる」となってあたり前である。

 

同じような言葉に「安物買いの銭失い」(やすものがいのぜにうしない)もある。

「安い物には、安くなるそれなりの理由(わけ)がある。その理由を承知で買うのならいいが、わけもわからず安いからお得とばかりに買うのは辞めなさい。結局早く壊れて買い直しとかで、安物買いの銭失いとなる。」とよく言われた。

今の世の中のいろんなニュースを見ていて、つくづくこの教えを説いてくれた両親に感謝している。「いい物はいい」少々高いお金を出しても、そう実感できるものも多い。

ルイ・ビィトンの一番ポピュラーなあの柄のバッグ。二十歳の御祝いにもらい、その後、ファスナーが壊れるとフランス本国へ送り返して修理までしてくれた。(もちろんお金はかかったけど。)そして学生時代の重い教科書、その後の通勤の混雑も耐え、10年を越え愛用した。1年あたりに換算すると(もらいものなんだけど買ったとしても)安い買い物だったと思える。

これからも、この教えは日々の生活の中で大事にしていきたい。

そーいえば、つい昨日、農協のうんしゅうみかん100%のストレート果汁のみかんジュースを買った。1リットルで398円。さすがに「たかー」と思ったが、普段飲んでいる濃縮還元100%、150円とどれほど違うのか、試してみたくなったのだ。

飲んでみて、「なるほど」と呻った。ほんとに家で絞ったのと同じだ。

喫茶店でオレンジジュースを頼むと、氷がいっぱい入って出てきて、一杯いくら?

そう思うと1リットルでこの値段は高くない、と思えた。

 

追伸:

許せないのは、船場吉兆!高いくせに偽物をつかっていたとは、許せない。

大阪人として、なお許せない!!

店でそれを但馬牛だと信じて使っていた料理長も情けない。が、専門家でも味が見抜けないほど、同様に品質の高い鹿児島牛を使っていたのか?はたまた味見をしていなかったのか?

ただ、わたしはこの点でも両親に感謝している。「ん?、そんな高級な材料じゃないんじゃない?」と思うことが外食でままある。別にそれがあたっているか、あたっていないかはわからないが、そう感じることのできる味覚を育ててくれたことに、感謝している。

値段と釣り合うほどのおいしさではなかったと思えば、二度とその店にはいかない。

消費者として『うそをつかれない商品を手に入れるには』は、安い物を支持するのではなく、価格に見合う品質を支持するようになるべきだと思う。

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職を売って職を買え

恐れ入りました、参りました、本当に。

20坪ほどの我が家の芝生。

4月から地域サッカーの役員を引き受けたため土日は試合の付き添いでほとんどつぶれ、毎年がんばっているこの月に、草の芽を見かけながら、全然抜けなかった。

GWにダンナががんばり、母の日に子どもも動員してがんばったが、すでに一部実をつけていて遅かった。その2週間後にはもはや手のつけられない、というほど草にはびこられてしまった。

さすがにこのままでは夏に恒例のガーデンバーベキューもできない。

そこでシルバー人材センターに、草取りをお願いした。

 

そして、今日、その方がいらっしゃった。

正直、最初は「これはダメかも」と思ったほど、よぼよぼのお爺さん。

耳も少し遠く、背も丸くなり、80歳くらい?というような。。。

8:00開始・・・・・驚いた、12:00まで休憩無し、さらに30分ほどしたらもう鎌をもって始められている。

今日は暑い。「水分をとってくださいね、休憩もしてくださいね。」と声をかけても「はい、どうも」というだけでもくもくと続けられ、「明日は雨だから、今日片づけちゃうね。」と・・・・・

19:00終了。ほんとに驚いた!!!一本も無い、あとかたも無い。本当にきれい。

 

まいった。わたしの肩こりもふっとんだ。(お爺さんの腰は大丈夫だろうか?)

「お父さんがよく言ってたよ。『職を売って職を買え』ってね。」と前に母が教えてくれたことを思い出した。言うまでもないだろうが、「稼いだお金で、専門外のことは専門家にまかせろ」ということ。

たぶん農業をしていらっしゃったと思う、あのいでたち。畑の草取りのプロ。

腰が低く、「なんでも感謝、感謝。楽しいねぇ。」とちょっとおやつをお出ししたときにおっしゃっていた。

感謝、本当に、心底。そして学ばしていただきました。

わたしなんてまだまだねと、心地よい反省。

 

そして、、、、、まるで生きていれば、今日の人のようだったな、と畑着姿の父を思い出す今夜。感謝の合掌。

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